波多野憲二のモデルとなった選手
有名な話なので耳にしたことがあるかもしれませんが、モンキーターンの主人公には実在のモデルが居ます。
これは作者が当時の競艇を取材していた時に、その人を参考に主人公を作り上げようとしたからです。
競艇マンガの最高峰と呼ばれるマンガの裏側には、現実に紐づいた話がいくつも存在しています。
より深く楽しめるように、モンキーターンの波多野のモデルについてまとめてみました。
モデルは濱野谷憲吾選手
クールな逃げで優勝を飾った濱野谷選手。
— ボートレース児島【公式】 (@BRkojima_16) May 22, 2020
さすがでした!
まさに格の違いを見せつける走り。
そしてこれで46歳、、、
いろんな違いを見せていただきました(;´∀`)
おめでとうございました(*・ω・ノノ゙☆パチパチ
#ボートレース児島#濱野谷憲吾 pic.twitter.com/nu2PYc9Pmn
濱野谷憲吾(はまのや けんご)選手はモンキーターンの波多野のモデルになった人物です。
作者の河合克敏さんが公言していますし、本人もそれを受け入れているので間違いなく事実でしょう。
1973年生まれで、競艇選手の登録期は第70期となっています。
ファンタジスタ、東都のエース、などの異名を持っており、1998年には全日本選手権競走で優勝しました。
モンキーターンの波多野と同様に日本一の称号を獲得した天才なのです。
40代になった現在でも、2018年にG1優勝を飾るなど、現役を貫いているレジェンドです。
競艇での活躍だけでなく、イメージモデルとして広報活動にも力を入れており、その知名度は年々広まっていると言えます。
輝かしい成績
1998年にボートレースダービーで優勝したのを皮切りに輝かしい成績を残して来ました。
濱野谷選手は2020年までに4回の優勝を勝ち取っており、その他のタイトルも合わせれば莫大な賞金額になるでしょう。
今までに稼いだ賞金は30憶を超えるとも言われている競艇界の伝説なのです。
初優勝の1998年の後は、2000年、2001年、2007年に全日本選手権競走で優勝しています。
これだけでも偉業ですが、驚くべきなのは毎年必ずレースへ参加出来ているのです。
つまり、初優勝から今までの間、ずっと最高ランクの勝率をキープし続けて来たのです。
自他ともに認めるトップレーサーは、モンキーターンの波多野を現実世界へ連れて来たような存在と言えるかもしれません。
競艇を目指したきっかけ
濱野谷選手は競艇を目指したきっかけをインタビューで答えています。
インタビューでは、「高収入を得て、良い車に乗るためです」と清々しく回答しました。
お金目的の理由に違和感を覚える人もいるかもしれませんが、有言実行を成し遂げている状況は素直に賞賛出来るでしょう。
また、これは濱野谷選手なりのリップサービスという見方も強いです。
そもそも競艇に興味も愛着も無ければ、日本一になるどころか競艇で勝利を重ねていけないでしょう。
今は新しい目標に向かって競艇を楽しんでいるに違いありません。
まだまだ現役でレースを走る濱野谷選手を、1度応援しに行ってみてはいかがでしょうか。